ダメダメ婚活からしあわせな結婚をする方法

二度の婚活の末に出逢った理想の結婚

まずは自己紹介

アナタ、何者?まずは自己紹介〜

 

★生い立ち。

母子家庭一人っ子。祖母と同居。愛知の田舎(実家は猿が出た)出身。母は天然なのか、考えがないのかとにかく幼少期は

「この人 変わってるなあ・・・・」と思ってました。

一人っ子だったこともあり、同年代の子どもとも遊ぶのは 苦手。なかなか距離感がつかめなくて、楽しく遊ぶ、のが不得意でした。  ( ̄▽ ̄) ・・・・・・


f:id:nslover:20180922085808j:image    なんか目がうつろ、、、、。


 

★看護師になった驚き!のきっかけ

高校までぼんやり過ごし、何となく受験しようと4大学文学部というかなり無難な道を目指して受験勉強。

進学校だったのでそれなりに勉強はした・・・・・つもり。しかしそれが仇になり大学受験当日!!に体調不良になり病院の廊下で意識不明に。

 

その後目覚めたときは大学受験はおわっていた。

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ここはどこ?何が????頭の中はぐるぐる。

その後生死の境を彷徨い、主治医の勧めで看護師への道を決め、退院日についでに病院付属の看護学校の願書をもらい、看護学校受験し合格。何とか国家試験も合格し、看護師になる。

 

 

★地獄の新人看護師時代

女の世界の洗礼を余すことなく受けた。大奥の様だった・・・・・・。

看護師1年目。辛くて当たり前、と言われる時代。それはそうだがプリセプターという指導してくださる先輩が10年目の方でジェネレーションギャップや双方のコミニュケーション障害から毎日が地獄。半年で8キロ体重が減り、精密検査を勧められるほどに。

 


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同居していた祖母と。

 

追い詰められるも、頑張らなくては!と思い続けたが、患者さんの前でも涙が止まらなくなるほどになり末期ガン患者さんにまで励まされたことが自分で許せなくなり退職。

 

 

のちにこの方の息子さんからご連絡いただいて、お墓参りをして号泣する。今でも忘れられない患者様。退職と同時に実家も出てしばらくフリーターに。

 

 

★人間に戻った、看護師2年目

看護師2年目→ 人の温かさを知り、看護師のやりがいを感じて病院復帰。

フリーターを半年したのち、友人の勤務する療養型(老人ばっかりの病院)へ再就職。

温かい主任さんや夜勤でご一緒する介護士さんのおばさま方に可愛がられ、少しずつ笑えるように。

先輩たちと病院前の海で遊んだり(サーファー率高し!金髪当たり前。笑)  夜車で向かいディズニーランドに行ったり。


f:id:nslover:20180922091152j:image 認知症の方のケアが楽しかった

 

 

 

看護師のやりがいをやっとわかる様になる。周りからのすすめもあり、1年のリハビリ期間を経て2年間急性期病院(救急車が来るところ)に就職。勉強を改めてし直し、それなりのスキルを身につけれた。海外旅行に行ったり私生活も充実。余裕ができて、休みの日には紹介派遣会社に登録して単発のバイト(訪問入浴の看護師・健康診断の採血)をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

★少し大人になりました・・・・・世間を知る看護師5年目

看護師5年目→ 人材紹介業者さんのすすめで企業に転職。世間を知る。

自分は何をしたいのか・・・・?と欲が出てきたときにネットで見つけた当時最大級のお仕事紹介の会社から医療機器メーカーに就職を勧められた。面接は東京まで行き、スゴイなあ~と思い転職。初めて名刺を持つ。
名刺交換の仕方から始まり、ビジネスメールの書き方、懇親会という名の宴会でのビールの注ぎ方など、世間のOL1年生みたいなことをオロオロしながら経験。セクハラ・パワハラも体験し、世の中の皆さんがお仕事頑張っていることを痛感。営業として愛知・岐阜・三重・長野を担当し、寝る間も惜しんで働いたのに会社の日本撤退であっさり終了!!笑

 

何だったんだ〜〜〜と外資のあっさり感に呆然。wwww

 

 

★自分のやりたいことだ!と気がついた頃 看護師7年目

人材紹介会社に入職。→とにかく無我夢中。自分は看護師も好きだが看護師さんを幸せにしたいんだという使命に気づく。
婚活時代、知り合った人材紹介の社長に「任せてやるから好きなことしろ」と言われて医療の人材紹介会社に入職。人材業の営業の仕方もわからず、とにかくやらなくては!と他社の人材紹介会社に登録して顧客リストを作るなど綱渡りの日々。


当時流行っていたSNS掲示板を作り看護師を募集するなどいかにコストを抑えて人を集めるかを考えていた。途中、やはり地方都市ではなく東京だ!と社長に掛け合って東京に上京。看護師さんを集めるために合コンをしまくる。

(このときに知り合った先生方や看護師さんとは10年以上おつきあいがあり、家族ぐるみのおつきあいにあった方や、今回の結婚相談所のきっかけになった方にもこの時出会う)

→人生、ほんと無駄なことはないっ!!

 

★婚活1回目・・・・結婚したい、ただそれだけ。

1回目の婚活は、29歳ごろ。はい。第一次結婚ラッシュの頃。
当時付き合っていた人に、結婚は?と聞いいたら

「は?早くないか??」とあっさり・・・・・

注:医者・同期・顔はよくないが私に会いに患者のいないうちの病棟までフラフラきていた研修医。

今思えば、ここでもう少し待つ選択肢もあったかもしれない・・・・でも、若い私は  が〜〜〜〜ん・・・・・・

結婚する気、ないんだ・・・・・と即決。

注:ちなみに、この時の彼とはその後あってないですが、今はLINEで時々近況報告。会う気は無い。
彼は病院の広報誌に載った自分を写真で送ってきた。(医局長らしい。そんな歳か!とツッこみながら見た)が、私は当時のままの記憶のほうが、彼もよかろう・・・・・遠い目・・・・・と写真は一切見せていない。

 

 

★たまたまの出会いから、フリーランスな働き方へ

働き方を考えざるを得ない現実に直面→結果的にフリーランスな働き方に。運命の出会いも!!


実家を出ていたが、祖母の介護などで実家には時々帰っていた。

 

看護師1年目の時に苦しむ私を見ても「せっかく入った大手の病院なんだから頑張りなさい」としか言わなかった母とは価値観は決定的になっており、母一人子一人の距離感が自分の人格形成に大きな影響があったことも自覚していた。そんな時、母が急性のリウマチで動けなくなり入院。弱っていく母を見て東京を引き払おうか迷ったが、まだこのまま終わりたくない思いもあり悩む。結果、人材紹介会社を退職して当時の知り合い達から関東・静岡のクリニック立ち上げの人材採用コンサル・愛知県内のクリニック採用コンサルの仕事をもらい、東京のマンションはそのままに愛知ではホテル暮らしをしながら他拠点での仕事を開始。

 

 

 

 

★二度目の婚活 運命の出会い

30代ももう後半・・・・・。

本当にこのまま独身か???
子どもを持って、普通の家庭・・・・って無理???

そもそも、まだ子ども産めるのか???
焦っていた時に、はい引っかかりました だめんず

 

 

 

それがやっと呪縛を解いて、 無  の境地で始めた婚活。

 

 

 

二度目の婚活で知り合った夫は、昔の自分の好みとは真逆。
しかし忙しすぎて恋愛モードでもなく(婚活してるくせに!)なんとなく話しやすかった夫と自然に話せた。(恋愛モードだったら、続いていなかったかも?)
ある時、仕事でへこんだ私を夫が慰めたことで意識が変わり、しっかり交際しようと思った瞬間に妊娠!プロポースはなんと自宅で私はパジャマでした・・・・・・。でもホットして嬉しくて不思議な気持ちで、なき崩れた・・・・・・。
母に報告した時は、電話口で母も泣き、夫に会わせる前にその場で結婚快諾。いいのか?とこっちが突っ込みたくなった・・・・・・。20代の頃は27歳ごろ結婚・新婚時代を過ごして30歳ぐらいで出産、うふふ。なんて妄想していたが実際は37歳で結婚出産。

 

 


f:id:nslover:20180922093711j:image  やっと、やっと結婚。